アスベストをどう考えるか(アスベスト対策、建築と有害物質管理を考える)

アスベストをどう考えるか(アスベスト対策、建築と有害物質管理を考える)

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アスベストをどう考えるか


アスベストの健康被害は、その微細な繊維が空気中に飛散して人体に吸入されることで起こります。例えば、手で直接触れれば危ない、というようなモノではなく、要するに、吸い込まなければ人体に危険はない物質です。

翻って、アスベストの有する特性を挙げると、耐火性、耐熱性、耐摩擦性、耐薬品性と優れた性質がずらりと並びます。

これに加えて安価なことを考え合わせると、これを世の中から完全に払拭してしまうことは、些か、躊躇せざるを得ない、というのが本音ではないでしょうか。特に建築関係では「燃えない」材質をこのまま埋もれさせることに抵抗を感じている人々も多いと思われます。

とは言え、アスベストに対しては、世の中に強い拒否反応があるのも事実です。実際に深刻な健康被害をもたらしている物質ですから、これは当然。

いくら便利なものでも命の重みと引き換えにできるものではありません。現実に国内で使用が認められているのは、全部で六種類あるアスベストの中でクリソタイルのみですが、これも段階的に使用禁止に向かっています。やはりアスベストはこの世から抹殺するべきなのでしょうか? 

唐突ですが、ここで車を例とって考えてみましょう。高速で走行する車は、常に危険を乗せて走っています。衝突の際に生じる被害は誰の目にも明らかで、毎日、車の事故で尊い命が犠牲になっている状況も周知の事実です。そんな危ないものを社会が容認しているのは何故でしょう?

これは刑法の中で「許された危険」とされる考え方です。広く社会全体で機能する車の有効性を認め、厳格な交通法規を遵守することを条件に走行を認めるわけです。

人々の生命と安全を完璧に守ろうとする立場を取るのであれば、一歩間違えれば犠牲者が出るようなモノが大手を振って走っていること自体、許されません。

それを容認するのは、社会全体にとって欠かせないツールとして車が認知されているからです。車以外にも「一歩間違えれば犠牲者が出る」という点では、原子力利用なども同じ土俵で考えなければならない問題です。結局、社会にとって有益ではあるが、同時に危険性を内包する物質、これをどう考えるということになります。

この観点からアスベストの現状を考えると、

・ 技術的に飛散防止の対策が完成されたとはいえない。
・ 法令で厳格に使用条件を定めても監視体制に完璧を求めるのは無理がある。
・ 空気中の濃度測定など全国的に漏れなく行うことはできない。
・ 代替物質の研究が進み、使用を禁止しても経済効果に影響は少ない。

などの理由から、現時点ではアスベストとの共存を考える余地は存在しないという結論になりそうです。

今後、技術的な問題がクリアされ、健康被害が懸念されなくなるような状況に到るまで「アスベストは封印」。これが今のところ妥当な考え方でしょう。

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